トミーについて
 

 1859年に日米修好通商条約は、アメリカ合衆国 (総領事タウンゼント・ハリス)と、 日本国(全権委員、井上信濃守清直と岩瀬肥後守忠震)との間で交わされました。
 翌1860年、条約批准書交換のため、 新見(しんみ)豊前守正興(まさおき)率いる77名のサムライが米国の軍艦ポーハタン号に乗り込み、 一路メリケン国(アメリカ合衆国)へと向かいました。

 その77名の中に、16歳の少年、立石斧次郎(トミー)は、 無給通詞見習という肩書きで乗船していました。

 天才的な語学力と、物怖じしない性格、気品、容姿にも恵まれた立石斧次郎は、 たちまち米国人(特にご婦人方)の人気の的になったようです。
 
 
 日米修好通商100年を記念して発行された切手

 10円切手・・・咸臨丸難航の図
 30円切手・・・使節とブキャナン大統領会見の図

NOTE 1)
 よく知られている、勝海舟が艦長をつとめた咸臨丸は、 正使の乗ったポーハタン号の護衛艦として、江戸、 サン・フランシスコ間を、ほぼ同時に往復した船の名称です。
 私自身は、「トミーは咸臨丸で渡米した」と、長いあいだ誤解しておりました。
 幼少時代からトミーの話を詳細に聞きながら育った私にしてそうなのですから、 この件に関する誤解は思いの外浸透していると推察されます。

NOTE 2)
 遣米使節団の一員として、トミーと共にポーハタン号で渡米した『加藤素毛』 のホームページとリンクさせていただいております。

NOTE 3)
 実質的には、遣米使節団の総責任者であった、観察目付・小栗豊後守忠順(小栗上野介) の菩提寺とリンクさせていただいております。
 このサイトでは『ポーハタン号』の勇姿を拝見できます。

 2001/05/30

(当サイト内でのご紹介は、五十音順とさせていただいております。)

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